会えなかった、心残り、

幼なじみが、死んだ。無沙汰だったのが最近、連絡が取れて、「会おう。おんなと音楽のはなしをしよう。」という誘いを残したままに、彼はあっけなく逝ってしまった。

彼の勤務先のホームページより...
弊社編集部の須山岳彦が急逝しました。『フラ語』シリーズや『中村屋のボース』等を手がけたヒットメーカーとして、また七色の髪のドラマー&シンガーとして親しまれ、愛されてきた男でした。下咽頭癌で闘病中でありましたが、このすばらしい仲間をまだ46歳の若さで失ったことが残念でなりません。

私という「ひと」があるのは、彼がいたから。音楽も、文学も、映画も、あらゆる感性を幼少の頃から彼と一緒に積み上げてきた。楽しみや喜びと言う事を、一緒に学んできた。
ビートルズロキシー・ミュージックもゴングも、カミュサルトル大江健三郎も、キューブリックタルコフスキーブニュエルも、何もかも。映画も撮ったし、思春期の余るエネルギーでバンドらしきものをやったし、シナリオもいっしょに書いた。
朝までレコードを聞いて、メタセコイヤ・マンションの屋上で朝日を見て、そのまま、お茶の水のディスク・ユニオンやシスコに行ったっけ。
不器用に見えるけど器用で、奇怪な容貌や行動にも彼なりのポリシーがあった。傍若で繊細。不思議な人だけどわかりやすい人だった。
父上、母上にもお世話になったけど、その素敵なご両親やご親族もすでに亡くなって、いつも彼の魅力に囚われて、気にかけて彼の周りにはいろんな才能溢れる人たちがいたけれど、幼少の頃から白水社の名物編集者になるまでの彼を知るのは、私だけになってしまったようだ。それは、逆のことも言える。彼は、自分の生育歴を証言できる唯一の人間だった。
須山氏は、私と切り離せない「存在」。切り離されてしまった不思議な感覚。根のない切り花になったような感覚かな。
最近の彼の友人たちのために、これからしばらく、彼の昔話を書こうと思う。もちろん自分の気持の整理のためにも。