たからのはこ

Paris2010-05-31

親友、須山岳彦氏の急逝の知らせを聞いてから、1ヶ月近く経った。その後のいろんな人達との出会いが、もうずっと前のことのように、感じさせるのかな。
彼はひとり者で通したし、ご両親も亡くなっていることを思うと、孤独な死であっただろうと勝手な想像をし、その境遇を含めて、彼の死を悼んだ。
でも、葬儀以降、私に、白水社の方々や、音楽を通じた彼の友人たち、数少ない親族、それに「彼の特別な人」が声をかけくれ、連絡を取り合っていくにつれて、彼が死の間際まで、そんな「気のおけない」ひとたちに囲まれていたことに安堵し、幸せな人生を、その幸せな時に閉じたんだなと思えるように、気持ちが変化していった。
彼らが、教えてくれる生前の彼の、映像、音、仕事、逸話、などなど、10年以上無沙汰をしていた私には知らないことばかりだけど、私が知ってる、幼少から青年までの彼と同じベクトルの上にちゃんと存在していた。昔の仕草、癖、文体、筆跡、音楽、食性、エロさ、「おんな」の好み、ドラムパターンは、なにも変わってないし、再現している。
知らないところに行ってしまった彼に「出会って」いたら、寂しさと「約束を反故にしていた」後悔に一層打ちひしがれていたと思う。同じ彼を知っていてくれる人たちと、実際に場と時を共有したシチュエーションは違っても、そこにいた彼が同じであることが、とても嬉しいし、その過去をともに過ごすことができた自分を誇らくさえ、思えてきた。
悲しみや後悔より、彼が残してくれた、彼の友人知人が、これからの私の宝になりそうだ。自分の心理過程を分析できるほど、まだ冷静ではない。でも、5月6日以降の多くの摩訶不思議な出会いを、楽しむことができている。
先週末、彼主宰の2003年当時のバンド「コネチカット・アーバン・シンジケート」を、彼に惚れてしまった映像作家の辻豊史氏が記録した(水曜日にあった「奥様とお尻愛」追悼ライブで手渡しされた)DVDを見ていたら、彼の母方の叔母様(正確には「叔父の妻」だから義理の叔母様)から、メールを頂いた。生前の彼の母からも、よく私のことは聞いていたそうだ。話がしたいとのこと。
私も、まだまだ、彼に関わった多くの人と話がしたい。